0214 地鎮祭/ヒルデモア/修士論文/立ち飲み

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14日は朝9時から等々力の集合住宅の定例会議と地鎮祭。あいにくの小雨のなか、施工者、施主であるデベロッパーの担当者、我々設計者で略式の地鎮祭を執り行う。住宅地での工事なので近隣への対応が大変だが、安全で正確な施工を期待したい。


大学へ移動中の電車の中で「家じゅうが/あたたかくなって、/人と人が離れた」というコピーののったポスターを見つける。薄暗い家の中で火鉢を囲む親子が描かれている。親子の表情は明るいので、つらい状況、というより昔を懐かしみ振り返る、という感じ。「3丁目の夕日」的な世界。あるいはもう少し前か。さらに文字を読んでいくと、これはヒルデモアという介護付き高齢者住宅の広告らしい。

ポスター全体のイメージから類推すると「現代は(住宅の暖かさに代表されるような)便利さ、快適さによって、かえって人と人の間のぬくもりを失い、孤立化していった(我々は、それとは違う、ぬくもりのある介護付き高齢者住宅を提供しますよ)」ということのようだ。まさか火鉢しかない住宅を提供する訳ではなく、おそらく設備的にはもっとも気を使って設計され、むしろ「家じゅうが/あたたかくなった」環境をつくりだすのだろう。なんらかのソフト的な対応や、火鉢とは違う新しい集いの仕掛けを提案しようということなのだろう。

一度手に入れた快適さや便利さを否定して住まうことは困難だ。また、大きな社会の流れとしては「人と人が離れ」る方向というのは、押しとどめることは出来ないと思う。だが、その上でなお、人と人は集まってしか生きていくことが出来ない。伝統的な家族の形式だけではなく、もっと選択的なコミュニティのあり方。長期間にわたるコミュニティや一瞬のコミュニティなど、さまざまな集合の間を行き来するようなあり方が考えられるのだろうか。


午後は大学で修士論文の発表を聞いたり、司会を担当する。力作が多く、楽しく聞けた。意匠系の論文の多くは、論文としての正確さや理論構築の緻密さには欠けるが、ある種の仮説にもとづいてひとつのストーリーを構築していくおもしろさがある。これはやはりひとつのデザインなのだ。


論文発表が終わってから、渋谷に集合住宅の打ち合わせに向かう。強い雨が降っている。確認申請の提出に向けてスタッフは懸命に作業をつづけてくれている。打ち合わせの後、渋谷の立ち飲み屋で労をねぎらう。