開かれていること
昨日は卒業設計の講評会に参加。
開き直って独り言のようなプレゼンテーションを続ける案がいくつかあり、閉口する。
こういう場面に遭遇するたびに思い出すのは、修士の学生時代に参加していた勉強会での出来事。今は慶応SFCの助教授になっている松原弘典さんや、「動物化するポストモダン」などで今や思想界の代表選手のひとりである批評家・東浩紀さんがやっている読書会に、ヒダカさんと一緒に何回か参加していた(難解すぎて僕は数回で脱落(涙))。
世のなかの建築や自分の建築案についてうまく言葉で説明できないときに、「建築は言葉では説明できないんだよ」と苦し紛れに言うと、「こちらは、言葉で語り続けることに命をかけているんだ。簡単に言葉では説明できないなんていうな!」と東さんに言われたのが心に残っている。
東さんはまだ学部の三年生だったと思う。
もちろん文字に書ける「言葉」だけでなく、ドローイングや模型に語らせることも建築には大切。ただし、語りかけ、話を聞く、という姿勢だけは持ち続けるのが最低限の条件だと思う。
僕も閉口している場合ではない。