1000年前の植林事情
「出雲大社境内遺跡で見つかった巨大柱は自然木ではなく、植林管理されたものという。」
1000年前の植林事情、、。興味深い、、。
岡さんの書き込みから
昨年末のシンポジウムで、佐藤さんによれば、出雲大社境内遺跡で見つかった巨大柱は自然木ではなく、植林管理されたものという。
なぜなら自然木であれば年輪の目が詰まっていなくてはならないが、発見された巨大柱の年輪は異常なまでに幅が広く、明らかに植樹の後も間伐等管理されて成長したものという。
だからわずか120〜195年で直径120〜140センチにまで成長したのだと。
巨大柱の伐採時期は、年輪年代測定によれば西暦1220年代あたりという。とすれば最初に植樹されたのは西暦1025〜35年あたりということになる。
つまり、この時期には、天然木の巨材は、その後の供給が困難と判断されるほど伐採されてしまい、植樹に踏み切ったと考えられる。
井原俊一『日本の美林』によれば、高野山における最古の植林の記録は西暦1016年、ヒノキの植林だったという。
出雲大社における植林と、高野山におけるそれとがほぼ同時期であるのは偶然ではないだろう。恐らく少なくとも西国では、まとまった自然林の巨木がそれまでにかなり消費されてしまい、官衙や大寺社の造営・再建など一度に大量の用材を要する状況に対応仕切れない事態が顕在化していたのだろう。
因みに、年輪が詰んでいればその材は硬いが、年輪の幅が広ければ相対的に軟らかい。板材には適しているとしても、相当な荷重を支える柱材として適切な柱材だったかといえば疑わしい。換言すれば、そのような材を柱材として使用せざるを得ないほど供給は切迫していたとみるべきなのだろう。
出雲大社のたかさが48メートルだの、という話よりも、むしろこちらの方に興味がある。