アクロバットから始まること

先日新建築住宅特集に掲載された三鷹の住宅「Slanting CAVE」について、「建築雑誌オールレビュー」というwebsiteで岡部明子さんに評を載せていただいた。

 両作品とも、難易度の高い敷地条件が力強い造形を生んでいる。

(中略)Slanting CAVE(山代悟)は、「幅4mの道路に面し、日当たりの確保しにくく、狭い間口の住宅が並ぶ敷地」に、太陽を屋内に入れる苦肉の策として「斜めの吹抜け」を核とし、その上に「階段状の寝室」が乗せて、アクロバティックな空間をつくりだしている。

 そもそも、地形は自然による制約で、法規は人のつくった制約だ。次元が異なるはずだ。ところが、日本の市街地では、地形も法規もあたかも所与の自然条件のように働いている。吉村靖孝氏が『超合法建築図鑑』で指摘する状況だ。建築家はこの「不思議のまち」のルールに抵抗せず、創造の源として利用してしまってよいのだろうか。

文面からは岡部さんが「Slanting CAVE」を「「不思議のまち」のルールに抵抗せず、創造の源として利用してしまって」いる建築であると判断しているのか、そうでないのか判然としないが、おそらく、様々な条件のなかで「アクロバティック」な解決をしているということに対しては、その意味、というか甲斐に対して疑問をもたれたということだろう。


法規、というものは確かに人がつくった制約であり、それを無批判に前提条件として受け入れるということは確かに判断を停止した状態であり、批判されるべきものだと思う。しかし、住宅を設計するにあたって存在する制約は地形や法規だけではなく、住まい手の望む生活スタイル、コスト、技術的な制約、住宅というものへの社会や個人の思い込みなどたくさんあげられるだろう。地形という制約は「自然」な制約ではあるが、それが結局は先述したような様々な制約へと分解されて、人が決めた、あるいは思い込んでいる制約、というものへと置き換えられていくのだろう。そういった意味で「法規」というものが特別な(ことさら抵抗すべき)制約だとは思っていない。他の条件にも同じように抵抗すべきだし、同時に同じように受け入れざるを得ないものだという気もする。


住宅特集に掲載した文章にも書いたように、問題なのはある制約をクリアするために、時に「アクロバティック」に見える選択肢も使いながら、一つの解決策を提示してみることだと思う。

問題になるのは、その時に提示された解決策が、問題の前提を外したときにも発見的な存在でありえるかどうか、ではないだろうか。

言われてみれば当たり前だが、だれもやってみたことのない選択肢、というものを提示できることを夢想している。いつかそのようなものを作ってみたいと思う。