核家族イデオロギー

村上龍氏が発行しているメールマガジン「Japan Mail Media」を読んでいる。もっぱら携帯のメール上で、電車の移動のときなどに読んでいるのだが、経済や外交のトピックについて、様々な寄稿者による多面的な意見が読めるのが面白い。


その中にアメリカ在住の作家の冷泉彰彦氏が寄せた文章『from 911/USAレポート』第251回「アメリカは出生率2.0を守れるか」の中で、「核家族イデオロギー」についてお話をされている。


同氏によれば、アメリカの高い出生率は(ヒスパニック系の移民の出生率の高さの影響が強いにしても)「核家族イデオロギー」によるものだ。これは、若いうちから恋愛は善であるという価値観を推奨し、子育て期間は仕事より家族を優先することを当然とし、それらの価値観を地域、教育、労働などの諸制度がバックアップしているとのこと。ただ、アメリカでも社会の二極化が進行し、上流?では仕事が激化し、恋愛、結婚、子育てといったことへ時間と情熱をさけなくなっていること、下流?ではますます将来への不安が増し、家族を経済的に成り立たせることが困難になってきているそうだ。


ここまでは、ふむふむ、と読んでいたのだが、その後、日本の社会について、

日本の場合は男尊女卑の大家族主義が壊れた結果、中間的な核家族イデオロギーがほとんど定着しないうちに、一気に個人がバラバラになってしまったという流れがあり、この際だからと核家族イデオロギーを見直してみるというのも良いかも知れません。

と書かれていて、「そうだったのか」と思った。


これまで漫然と、日本でも「大家族制」「核家族」「(近年の)個人主義、あるいは単身者の台頭」というようにとらえていたのだけれど、実際に住まいにすんでいる人数の構成はそうなっているとしてしても、家族というものを成り立たせているイデオロギーとしては、大家族制から(核家族を飛ばして)個人主義へ一気に飛躍しているのだなと思った。


子供や高齢者のことを考えると、単純な個人主義では社会が成り立たないことは明らかだが、核家族というイデオロギーを日本に啓蒙し根付かせることが出来るのか(最近の少子化対策の政策はこれにあたるのでしょう)、はたまた新しい形の、血縁だけによらない大家族が構想可能なのか。さて、どうなんでしょう。