1/2 呼和浩特市、鄂爾多斯市、包頭空港、北京へ

朝5:30頃起床。身支度をして6:30からホテルのレストランで食事。あたりはまだ真っ暗。中国はあれだけ大きな国だけれど、国内には時差がない。北京辺りの都合?で全国統一されているそうだ。だから呼和浩特くらい西の地域だと、通勤の時間帯でもまだ真っ暗、夕方陽が落ちるのは遅い、ということになる。


時間がないので、まだ陽が登りきらないうちから、呼和浩特(フフホト)のプロジェクトの敷地である、成吉思汗大街(チンギスハン ストリート)をみる。滑走路と見紛うような街路の両側に荒涼とした敷地が広がる。行政府のビルだけがそびえ立っている。将来はこの廻りにスタジアムや集合住宅、商業施設、オフィスなどが建ち並ぶという。敷地として案内された一角には、まだ平屋の住宅が建っているが、早晩これも取り壊されると言う。


まだ日が昇る前で、非常に寒い。初めて寒さで鼻の中が凍るという体験をした。でも、これでもまだ暖かい方らしい。しばらく敷地の廻りを見て、車で鄂爾多斯(オルドス)へ。


高速道路で3時間。凍結した道路を時速100kmで巡航する。道路の両側は、緩やかな傾斜の続く平原。積雪自体はたいしたことはない。


鄂爾多斯の旧市街につくと、デベロッパーのランクルに乗り換えて、新市街へ。旧市街からは28kmはなれている。新市街といっても、まだ道路と、工事中の行政府などがあるだけ。背景には丘があるが、大旨平坦な土地が広がっている。薄く雪が積もっているので、白地図そのもののような気がする。Lさんによると、ここも5年もすると、建物が建ち並び、まったく異なる風景になっているはずだと言う。現在は人口ほぼ0人。2020年には20万人が生活する都市が出現する。Lさんはここの地域の商業施設と集合住宅のプロジェクトを手掛けることになるという。


その後旧市街へもどる。旧市街も郊外の開発が続いているが、地下水が限られているため、このままは拡大出来ないらしい。新市街が離れたところに計画されるのはそういった事情もあるそうだ。レストランでモンゴル風の家庭料理をいただく。羊肉をつかった焼うどんのようなもの。食後にはLさんが既にプロジェクトを進めている商業施設の敷地を見に行く。街のもっとも重要な交差点に面した商業施設の建て替え。交通計画の見直しや、交差点に面して大きな広場を提案している。行政もこういった視点には非常に興味をもっているらしい。


その後Lさんの実家にお邪魔し、生活の様子を見せてもらう。6階建ての集合住宅で、インナーバルコニーがある。地域ごとに温水が供給されていて、室内は温水ヒーターで暖められている。とても快適。


はじめは車で北京に戻る予定だったが、天候が怪しいため、飛行機で帰ることに。包頭(パオトウ)という都市まで車で1時間、そこで飛行機にのり北京へ帰る。タクシーで建外SOHOのオフィスへ。


1泊2日の強行軍だったが、東京ー神戸ー下関ぐらいの距離を移動したことになる。はじめから距離に実感があったら遠慮していたかもしれない。飛行機は偉大だ。


20:30過ぎにオフィスに到着すると、Lさんは早速スタッフに捕まり、ミーティング開始。僕たちは資料を整理したりして過ごす。23:00過ぎから25:00くらいまでLさんとディスカッション。なにをどう進めることが出来るか相談。呼和浩特と鄂爾多斯の2つのプロジェクトについて、北京で集中的にスタディ、ディスカッションをし、その後はメールやSkypeなどで打合せをすることに。2-3週間の短期集中のプロジェクトになりそう。僕は5日朝には北京を離れるが、ニシザワくんは8日まで残ってスタディを続けることになった。


SAKO事務所に勤務しているUさんに電話をすると、今日も北京にいるということが分かった。深夜だが、少し飲みに出かけることに。三里屯のバー街へ。隈さん、松原さんなどが設計している複合施設の現場が深夜も動き続けている。仮囲いに建築家たちの大きな顔写真が貼ってある。ヤマシロ、ニシザワ、Uさん、Aさん、Gさんらと27時近くまで飲み、アパートへ帰る。


激しい正月だ。