もち街木綿街道
CitySwitchでもお世話になっている、出雲の木綿街道の冬の風物詩「節分イベント〜もち街木綿街道」が今年も開催されるそうです。
つきたてのお餅を一椀150円で購入し、木綿街道に点在する醤油屋さんや、カフェなどでオリジナルのトッピングをもらい、いろんなところで食べる、というイベントです。
今年も約6000食分のお餅が用意されるとのこと。人気のトッピングは午前中でなくなるそうなので、お早めに!
日時 2月2日(日)10時〜15時
場所 木綿街道全域
メイン会場 宇美神社(餅つき会場)
個人と組織
最近は空いた時間や、就寝前などにはKindleで、これまでは殆ど読んだこともなかった小説を読んでいる。これまでの読書はもっぱら学術書や雑誌、評論などで、ある種の情報収集であった。自分の場合。
AmazonのKindleストアで目についた(買いやすい)、池波正太郎(『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』)、山崎豊子(『白い巨塔』『華麗なる一族』『大地の子』)、福井晴敏(『亡国のイージス』『終戦のローレライ』)など。肩の凝らない、娯楽として読んでいる。
これはあらゆることの根源ということなのだろうけど、設定は違えど、個人と組織(幕府、御家、大学病院、都市銀行、中国共産党、大企業、自衛隊、北朝鮮、日本軍、ナチスドイツ)の葛藤の物語。
都市をつくり、あらゆるものを発明し、発展させるのも組織であれば、個人を阻害するのも組織というものなのだなあと感じる。
1000年前の植林事情
「出雲大社境内遺跡で見つかった巨大柱は自然木ではなく、植林管理されたものという。」
1000年前の植林事情、、。興味深い、、。
岡さんの書き込みから
昨年末のシンポジウムで、佐藤さんによれば、出雲大社境内遺跡で見つかった巨大柱は自然木ではなく、植林管理されたものという。
なぜなら自然木であれば年輪の目が詰まっていなくてはならないが、発見された巨大柱の年輪は異常なまでに幅が広く、明らかに植樹の後も間伐等管理されて成長したものという。
だからわずか120〜195年で直径120〜140センチにまで成長したのだと。
巨大柱の伐採時期は、年輪年代測定によれば西暦1220年代あたりという。とすれば最初に植樹されたのは西暦1025〜35年あたりということになる。
つまり、この時期には、天然木の巨材は、その後の供給が困難と判断されるほど伐採されてしまい、植樹に踏み切ったと考えられる。
井原俊一『日本の美林』によれば、高野山における最古の植林の記録は西暦1016年、ヒノキの植林だったという。
出雲大社における植林と、高野山におけるそれとがほぼ同時期であるのは偶然ではないだろう。恐らく少なくとも西国では、まとまった自然林の巨木がそれまでにかなり消費されてしまい、官衙や大寺社の造営・再建など一度に大量の用材を要する状況に対応仕切れない事態が顕在化していたのだろう。
因みに、年輪が詰んでいればその材は硬いが、年輪の幅が広ければ相対的に軟らかい。板材には適しているとしても、相当な荷重を支える柱材として適切な柱材だったかといえば疑わしい。換言すれば、そのような材を柱材として使用せざるを得ないほど供給は切迫していたとみるべきなのだろう。
出雲大社のたかさが48メートルだの、という話よりも、むしろこちらの方に興味がある。