0311 記録

3月11日の地震以降のことのメモ。

3月11日

午前中は駒場東京大学生産技術研究所で、木密都市モデル研究のためのヒアリング。国際都市安全基盤センターの先生に、災害時の避難場所の考えかたや、帰宅難民などの問題について話しを聞く。

印象的な話題としては、
「耐震、防火の措置がされている新しい建物の多い地区では、おそらく地震そのものによる被害は小さい」
「主構造が丈夫でも、天井の崩落などの二次的な構造物や家具などによる被害の恐れがある」
「体育館などが避難所として使われるが、必ずしもその建物が天井などの二次部材まで含めて安全とは言えない。やはり校庭のような上に何もない場所は必要」
「たとえば千代田区のような場所では、ほとんどの建物は破壊されないだろう。しかし多量の帰宅困難者が発生する」
「一時(いっとき)避難場所、広域避難場所、といった違いがいろいろある」
「地下は地震時は比較的安全。しかし、水害においては別」など。(以上文責山代)

その午後に、午前中の話しをトレースするような地震が起きるとは。

ヒアリングの後、神泉にある会社で新規プロジェクトについて打ちあわせ。

午後は事務所にもどって、13:00より南青山のプロジェクトのプレゼンテーションの方針について打ちあわせ。

その後、東大本郷で行われる、内藤廣先生の最終講義を聴こうと、東西線にのる。

早稲田駅に着いたところで、大きな長い揺れ。車両に乗っていたのでなおさら揺さぶられる。ホームに出て、しばらく様子を見る。午前中の話しがよぎり、構造は大丈夫だろうが、天井が落ちてこないかと心配になる。地上の様子は分からないので、駅員のアナウンスがたより。何度か余震があり、恐ろしいが地上の方がガラスなどの落下の可能性があるというアナウンスもあり、地下にとどまる。家族に電話をするが、当然つながらない。公衆電話にならんで、ようやく家族の無事を確認。電車の再開の目処がないということで、駅を出て、歩いて高田馬場の事務所へ引き返すことに。

地上に出てみると、思ったよりまちは平静に見える。地下でおびえていたのがおかしいくらいに感じられる。コンビニでは立ち読みをしている人が多いし、レストランやカフェでは普通に食事をしている。電気店のテレビでニュースを見ている人だかりが出来ていることくらいが普通と違う。

15分程歩いて事務所にもどる。スタッフも無事。一階と地下のメゾネットの事務所だが、本棚の本も落ちていない。念のため、外への出入り口のドアだけは開け放しておいて、仕事にもどる。テレビがないので、時々ネットのニュースやツイッターの情報を見ながら仕事を続行。いろいろな打合せや、北京とのスカイプ打合せ。週明けの北京出張のための事前打ち合わせ。ツイッターの情報でustreamでニュース映像を見られることを知り、パソコンでニュースを見る。想像以上の被害の映像が目に入り、驚く。それでもなにかすぐにできる訳ではないので、そのまま仕事をしながら情報収集。夕方になり、今日はJRの復旧の予定なしとのニュースを確認。ようやく、具体的に対策に乗り出す。スタッフは事務所に泊まり込みの可能性が出てきたので、事務所の裏の24時間スーパーに水や食料を買い出しに行く。スーパー内は混み合っていて、レジには長蛇の列が出来ている。いくつかの品物は欠品しているが、殺気立った空気はない。

自分も水4Lと、果物、パン、カップメン、チョコレートなど、目についたものをいくつか買い込んで、歩いて自宅を目指す。18:10頃出発。高田馬場から、概ね都電荒川線に沿って、目白、鬼子母神雑司ヶ谷東池袋、大塚、巣鴨と歩く。70分程で自宅に到着。歩道は帰宅をする人々の波で混み合っている。皆静かにもくもくと歩いている。ヘルメットをかぶった人も。早めに運転再開している都電の駅には長蛇の列。飲食店や居酒屋、バーなどはそのまま営業をしている。普通に食事をしたり、飲んでいる人も多い。まったく変わらない日常と、もくもくと帰宅する人々の姿のコントラストが印象的だった。

自宅について家族の顔をみて安心。土日は家族で旅行の予定であったが、安全を考えて中止に。息子はふてくされて眠ってしまっている。娘は珍しく早く帰ってきた父親と遊びたい様子で、じゃれてくる。ニュースを通じて次第に明らかになってくる被害の様子と、無邪気な娘の顔がオーバーラップする。

24時近くなって、様子が分からなくなっていた義母から帰宅したとの連絡。池袋に来ていて地震に遭い、帰宅できなくなっていたが、運転再開した西武新宿線で帰宅したとのこと。

余震が続く中、ニュースやツイッターを見ながら就寝。