いろは

龍馬談判の町家修復、宮崎駿監督がイメージ図 広島

 坂本龍馬率いる海援隊の「いろは丸」と紀州藩の軍艦が衝突した海難事故の際に、談判が繰り広げられた広島県福山市鞆(とも)町の江戸時代の町家が、アニメ映画の宮崎駿監督のスケッチを基に地元NPOによって修復され、龍馬の誕生日の15日から一般公開されている。町家は宮崎監督が新たに命名した「御舟宿(おふなやど)いろは」の屋号で来春から旅館に生まれ変わる。(中略)

 その後、宮崎監督が05年春に鞆町に休暇で滞在中に町家を見学。修復後のイメージ図をペンや水彩で描いたスケッチ約20枚を贈った。

 修復作業は3年がかりで完成。「新しい物好きだった龍馬の性格ならではの雰囲気に」という宮崎監督の発案で、伝統的な町家の窓の一部にドイツ製の赤や黄、緑などの色ガラス6枚がはめられた。(後略)

http://www.asahi.com/culture/update/1125/OSK200711240086.html

どういった建物なのか、歴史的な考証はどのていどなされているのか、など、まったく分かりませんが、おそらく建築家や建築史家がコアとなった修復とはずいぶん違うんでしょうね。

再生のコンペなども行われたりしていて、ひとつのネタでいろいろな展開を見せているところが、話題性が豊富でいいのではないでしょうか。